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音楽、映画、読んだ本のメモ帳です

ジャン=リュック・ゴダールの『女は女である』では若きゴダールが技法で遊んでいる

ルビッチの『生活の設計』を観た流れで、ジャン=リュック・ゴダール監督の『女は女である』(1961年)も観たくなったので*1、おそらく20年ぶりに*2DVDで再見しました。

 


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実は多くの人が言うほど*3に、この作品から多幸感や喜びを感じないのと(むしろ、ジャン=クロード・ブリアリのあの無表情を見るにつけ、やや邪見で陰惨な話だとすら感じます)、アンナ・カリーナがそれほど輝いているかというと、いや例えば『はなればなれに』のほうが・・などと思ってしまっていたのですが(本作ではカリーナはやや露出の多い服を着させられていたりと、ゴダールとの結婚前にしてはやや扱いが悪いような印象すらあります)、そこは久しぶりに観ても印象が変わりませんでした。

 

むしろ、何度も左右に往復するパンの技法や、ぶつ切りで投げ出されるミュージカル音楽、隙あらば入り込むギャグ、唐突な路上撮影の生々しさ*4に見られるように、映画を実際につくり始めたばかりのいわば幼年期のゴダール*5が、どこまで技法で遊べるかを試しているところが楽しい作品です。

 

そして、そんな遊戯の嵐のなかで、ふとカリーナがつぶやく「私って何なのかしら」という一言が、本作に、ただの遊びから一線を画すだけの切れ味を与えています*6

 

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*1:本作でゴダールはルビッチからの影響を公言しており、映画の冒頭にも「ルビッチ」という字幕が出ます。

*2:たしか大学1年生の秋ごろ、映画好きな友人から『中国女』を教えてもらい、そこからゴダールを数本観たうちの1本だったと記憶しています。

*3:やはり筆頭としては、今なお、山田宏一氏の『友よ映画よ わがヌーヴェルヴァーグ誌』(話の特集、1978年)16pを挙げておくべきでしょう。

*4:とくにパリの街ゆく人たちの(おそらく)無許可撮影は、アーカイブとして見ても貴重です。

*5:『フォーエヴァー・モーツァルト』(1996年)を観た上で振りかえると、ああこの頃からゴダールはミュッセの『戯れに恋はすまじ』に言及していたのかという発見もあります。

*6:本作と『女と男のいる舗道』をふまえて、「ゴダールは(中略)単にアンナ・カリーナを美的対象として崇拝することをやめ、彼女を媒介として女性とは何かという問いに向かい合おうと試みた」と評する四方田犬彦氏の『ゴダールと女たち』(講談社現代新書、2011年)62pも参照。